2012/04/19

歌舞伎の色 No.2

歌舞伎のシンボルとなる色

舞台と客席をしきる、定式幕(じょうしきまく)  黒、柿色、もえぎ

常引幕(じょうひきまく)から定式幕
になったとも言われている。
(江戸の人は、ひの発音がしになるため)


江戸の初期には白が流行る。
首から襟(えり)の前後にかけて大きな模様や紋を染め抜いた首ぬきは、長く流行したようです。


中期では黒が流行し、ゆったり仕立てで小袖や振袖の裏地、そして蹴出し(けだし)などには、薄手の羽二重のような平絹を紅で染めたものが用いられた。

後期には小紋や縞柄などが流行る

 縞について。。。南蛮貿易で入ってきた「縦縞」の綿布は、南方諸島特産のため
「島もの」と呼ばれ後に「縞」の字があてられた。


 三階松(さんがいまつ)。。。松は神の依る木。吉祥の象徴。
天と地上をつなぐ階段に見立てられる紋様。

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歌舞伎の舞台はたくさんの色が使われていて、その華やかさに気持ちも豊かになるのですが、色や小紋にはそれぞれ「意味」があるんだ。ということが分かりました。

私がこのお話を聞きに行った目的は『粋とはどうゆうものなのか』を、感じたかったのです。お話は面白かったのですが、肝心な粋については???で、形のないものを言葉で表現すること自体に無理があるとは思いますが、自分なりに調べてみました。

「いき」は「粋」と表記されることが多いが、これは明治になってからのことで、「いき」は「意気」とも表記される。

「いき」または「意気」とは、江戸における美的観念のひとつ、「庶民の生活」から生まれてきた美意識である。

身なりや振る舞いが洗練されていて、格好よいと感じられること。また、人情に通じていること、遊び方を知っていることなどの意味も含む。

反対語は野暮(やぼ)

*面白かったのは、「いき」の構成要素について

(1)「いき」の根本には、異性に対する「媚態」がありながら、異性との間に緊張感がつねに存在していなければいけない。

恋人の前で安心しきって緊張感を失い、本当の素を見せては、いきにならない。緊張感が「つやっぽさ」や「色気」を作り出す。

(2)「いき」であるには、「意気地」が必要である。

「意気地」を分解すると、「やせ我慢」と「反骨精神」であるという。

3)「いき」には「あきらめ」が入っている。

「いき」はあっさり、すっきり、垢抜けしていなくてはならない。 執着しない気持ち。


物が少ない時代に工夫をして生活を楽しむ。
規制もきびしかったと思いますが、だからこそ生まれた言葉なのかなーと、思います。
江戸の粋、見習いたいです。




2012/04/15

歌舞伎の色 No.1

「歌舞伎の衣装にみる色の役割と粋」
についてお話を聞きました。

紫にまつわるお話し

*紫衣事件

江戸時代、天皇から頂く「紫の袈裟」は最高位の僧の証でそれは許可がなければ着衣出来なかったのを、
徳川将軍が許可を取り消した事件だそうです。

*階級と色

推古女帝時代に「聖徳太子」が定めた
「冠位十二階の制度」の位色は上位から
紫、青、赤、黄、白、黒の六色が配されそれぞれの色の濃淡で二段階に分け計十二階でした。

同形色の色では濃い方が高位になり、当然濃(き)紫が最上位になります。冠位とは冠と位のことですが階級の色は冠だけでなく衣服にも用いられました。
しかし、沓(くつ)だけは身分・階級に関係なく黒く塗った沓でした。
現在でもこのしきたりが残っていて、僧侶が法要のときなど僧の位に応じた色の法衣
を付けるそうです。

*紫は紫草の紫根で染める 

紫染は江戸時代に「江戸紫」として大流行しました。
・井の頭池を水源として造った神田上水の水をふんだんに使うことができたこと。
・紫染に必要な媒染で使う椿灰を伊豆大島から供給されたこと。
これらが要因になり、江戸の町で盛んに染められたと考えられます。
 
紫草
又、玉川上水の吉祥寺・三鷹間には「むらさき橋」という橋が架かっていて、その名前は、昔から武蔵野の地に多く咲いていた「紫草」と言う植物からつけられました。

特に井の頭の池の水で染めた紫染は何度洗っても色落ちしないと重宝されたといいます。
これに感謝して江戸紫の根問屋や染物屋らが寄進した一対の「紫灯籠」が井の頭池の弁財天のそばに今もたたずんでいるそうです。

つづきます。。。