2012/01/19

作品にいのちが宿るとき

ある日、「ああ、もう美術なんてやめてしまおう。」と思った
自室で寝転がった時、ベッドの横にあった小さな水槽が目にとまった。
そこには七年前夏祭りですくってきた金魚が一匹いた。
名前はキンピン(メス)
たいして可愛がりもせず、粗末に扱ってきたため、水も汚れてフンまみれ、
しかし彼女は生き続け、20cm以上になっていた。
僕は、水槽の蓋を開け、彼女を上から見てみた。
そのとき、僕の背筋がゾクゾクっとした。
汚れた水の中で、赤く光る彼女の背中は、
怪しく、そして最高に美しかった。
「この子がきっと僕を救ってくれる」
そう信じて、赤い絵の具を取り出し、彼女をモデルに筆を走らせた。
楽しい!楽しい!楽しい!
そしてあっという間に金魚の大群が生まれた。(これだ!)
僕の探していた答えが、ヨーロッパでもなく、アメリカでもなく
まさに、この部屋にあった。
僕は、この日の出来事を「金魚救い」と呼んで大切にしている。
                                                                           深堀 隆介


深堀さんのサイトにあった言葉です。
彼の作品は以前から知っていました。
これが平面?
本当に生きているみたい!すばらしいな〜って。

このエピソードを知ると、作品をみる目がぐっと近くなる。
『金魚救い』のことばにキュンとなり、この子が救ってくれたんだね。と、愛おしさまで感じてしまうのです。

インタビューの記事では 

「それまではずっと水槽を横から見ていて、何の驚きも感じなかった。なのに、ある日上から水槽を覗き込んだとき、金魚がまるで二次元的に、絵画のように 見えることに驚いたんですね。金魚と見る人との間に水面という媒体があることで、本来立体である物体が圧縮されて、フラットな平面に見えてしまう。その 頃、美術作家の村上隆さんが『スーパーフラット』という概念を唱えていたんですが、それに近いものが金魚の見え方にあると感じたんです」

つまり、水槽の横から見ると普通の魚として見えるのに、水面には水の屈折の原理で、ぺたんと平面に押しつぶされたような金魚が見える。立体なのに平面的、平面的なのに実は立体。その不思議さに驚いた。ということのようです。
さらにブログでは

僕は樹脂作家ではありません。

僕は、金魚という存在に表現すべき全てをみた男で、いわば金魚に秘められた「言語」を聞いて言葉を発するように表現しているだけです。

たくさんある技法や考え方を模索しながら、いろんな表現を金魚で試してみる・・・それが僕らしいスタイルなんです。

あくまでも「金魚」という存在が日本人としての僕に語りかけてくる波動をキャッチしているだけなのです。

自分の美しいと思う金魚を創りだして、それを売る金魚屋さん側の立場にいる作家なのです。 つまり養魚場のおじさんと同じなんです。

だから、自分のアトリエを”金魚養画場”と名乗っているのです。


これを読んだ時、『蜜のあわれ』を思い出しました。
「おじさま」と「あたい」(金魚)の物語。
私のお気に入りの小説なんですが、金魚に対する愛を感じてしまいます。
深堀さんの今後の作品がとても楽しみです。


プロモーションビデオがありましたのでご覧ください。
いのちが宿る瞬間が観られますよ〜





0 件のコメント:

コメントを投稿