第二次世界大戦中に強制収容された日系アメリカ人が制作した
美術工芸品を集めた展覧会です。
収容所の風景 木の板を彫り込みペンキで彩色 |
日米開戦の影響を受け、アメリカ西海岸やハワイの一部地域に住んでいた日系アメリカ人およそ12万人が強制収容されます。
破壊活動やスパイ活動をするおそれがあると、砂漠や沼地に造られた収容所に送られました。
蓋付籠 葦、玉ねぎを入れる袋で作った紐 |
強制的に立ち退きを命じられた日系アメリカ人たちは、手荷物以外の持込が許されず、 家や会社を売り渡したり、やむなく財産を手放したりして収容所に連行されました。
砂漠の中などに作られた強制収容所での生活は3年以上も続きます。
煙草入れ 玉ねぎを入れる袋で作った紐、顔料 |
収容所内の住宅は「バラック」と呼ばれた粗末なもので、個人のプライバシーもない狭さで、砂塵なども吹き込むこともありました。
その頃の生活は必要最低限の家具と食事だけが保証された貧しいものでした。
そのような環境の中で、人々は乏しい道具を使って机、椅子、籠、棚などの日常生活に必要なものをつくっていきました。
しかし、質素な生活用具の中にも、大きさや形などに創意工夫と丁寧な作業という「ものづくり」の原点が認められます。
左、レース編みの手提げ袋 布、くずの木材、糸、絵の具
右、造花 パイプクリーナー、ガラス製のマヨネーズ容器
左下は収容所の模型 |
収容された人々には番号が付けられ、管理するアメリカ人からは、その番号で呼ばれていたため父は、表札を彫り上げると、それをバラックのドアに釘で打ち付けました。
「ここにいるのは山市なんだ」と。
日本人は自分の名前に誇りを持っているのだと
父はよく言ったものです。
たとえ無意味かもしれなくても、とにかく前に
進むしかないんだと。それが人生なんだと。
つまり、決してあきらめるなということでした。
つづきます。。。
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