「辰巳さんの言葉」より抜粋
食ということは、あまりにも当たり前なことですので、
つい日常茶飯事の扱いになります。
でも、本当を申しますと日常茶飯ほど、
これなくしてはやれない、生きていかれないことが
多いのです。
料理は、本当に食の一端でございますが、
ですけれどもその小さな一端にありながら、
生きて行く全体に対して一つの影響をおよぼしてまいります。
食べごこちを作っていくということは、最も基本的な自由の行使。
そして料理を作ることは、自然を掌中で扱うことなのです。
それは人間にのみ許された厳粛な行為だと思います。
辰巳さんが病床の父のために作り続けたスープ。
「いのちのスープ」が結ぶ絆の物語。
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久しぶりに、映画館で泣いた。
今のわたしの器では、受け止められないほどの大きなメッセージでした。
辰巳さんが庭で草を摘んでいるところは、
「私の食べごろは今よ」と、
草が自らサインを出しているみたいで
融合してる〜って感じながら観てました。
いのちの目指すところは「ヒト」が「人」になること。
なろうとすること。
いのちとは時間の中にある。
「真心をこめた時間」であるか否か。
それによって、「時間の値打ち」つまりは
「いのちの値打ち」が決まってしまう。
いのちが行き着くところに、「愛」がある。
いのちの核心に「愛する」という行為がある。
愛こそが、生きること。
違いのわかる、おんなになりたーい!!
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