マリー・アントワネットのおかかえスタイリスト
マリー・アントワネットがモードの最先端を行くようになった背景には、二人の有名なスタイリストの存在がありました。
一人は、ローズ・ベルタン。
王妃は宮廷の反対を押し切って、庶民出身のベルタンを迎え、ドレスや装身具、ヘアスタイルなど美に関する彼女からのアドバイスに耳をかたむけました。
”私のモード大臣”と王妃はベルタンのことを称していました。
もう一人は髪結師のレオナール・オーティエ。
当時のパリには1,000人以上の髪結師がいたといわれていますが、オーティエはその中から見初められ、ベルタンとともに王妃のためにヘアスタイルを次々と創り出しました。
また、王妃が出産後の薄毛で悩んでいたところを、「短い髪こそが新しいモード」と提案し、髪を結えなくなった彼女を救ったのもオーティエでした。
斬新すぎる〜 |
軍艦「ベル・ブル(美しき雌鳥)の
ヘアスタイル(復元)
当時のフランスにおけるファッションの要は、ヘアスタイルにあったといっても過言ではありません。
マリー・アントワネットには、おかかえの
ヘア・スタイリスト、レオナール・オーティエがいました。
オーティエはその時々の世の中を取り込み、王妃の希望に応じて次々と斬新なヘアスタイルを創り出しました。
そして王妃の採用するヘアスタイルは
宮殿内にとどまらず、パリ中や外国にまで
波及していったといいます。
これは「ベル・ブル風」と呼ばれるヘアスタイルです。
ベル・ブルは1778年にイギリスとの闘いで使われた軍艦の名前で、激戦の末にフランスに勝利をもたらしました。
それを称えたこのスタイルは、貴婦人たちのあいだで大流行しました。
一説では180cmにも及んだといいます。
その高さと不安定さのため、貴婦人たちは馬車の中では座ることができず、床にひざまづかなければならなかったそうです。
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毎年170着のドレスをオーダー・メイドしていたとされ、
Wikiでは、身長154cm、ウエストは58cm、そしてバストが109cm
とありました。
凄いスタイルです!
当時の小物入れなども展示され、付けホクロ入れなどもありました。
布を小さく切って、顔に付けて いたそうです。
ヘアスタイルを見たときは、
「ハンパない。。。」
「盛ってる〜」と、心の中でつぶやいてた私です。
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